フェローMAXとは?
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初代フェローは1966年11月に発売され、それまで小型車のオート3輪や軽オート3輪のミゼットで実績を上げていたダイハツ初の軽乗用車です。
また、プリズムカットと呼ばれるボディスタイルを採用し、スポーティーさと限られた寸法の中での最高の居住性を追求した車でした。
しかし、1967年3月にホンダからN360、4月にスズキからRRに変更された2代目フロンテという強力なライバルが次々に登場し、フェローの商品としての魅力は徐々に落ち込んでいくことになります。
対抗策として、68年6月に最高出力を6ps向上させ、32psとしたフェローSSを追加するものの、ライバルを制することはできず、70年4月に2代目であるフェローMAXにバトンを渡しました。
70年4月、フェローは2代目にモデルチェンジし、「MAX」というサブネームが与えられました。
また、さらなる居住性・快適性の追求からN360に続いて2番目に駆動方式がFFとなりました。
先代の屈辱を晴らすべく、FMCから3か月後の7月に24φのアマル型キャブをツイン装着し、最高出力40psという排気量1L当たり112.28psを絞り出す、
準レーシングマシンと呼んでも差し支えない「SS」と「S」が登場しました。
キャッチコピーは「40馬力のど根性」で、劇画調の作風を取り入れたインパクトのあるTV-CFで当時の若者に熱烈にアピールしていきました。
第1次軽自動車パワーウォーズに乗って高回転高出力のエンジンを搭載した車は、例外なく低回転を犠牲にしており、低速でプラグがカブったり、
発進で回転を上げて半クラッチを長めに使うといったテクニックが必要でした。
この車の場合、自動車ジャーナリストの故・徳大寺有恒氏が試乗に出てわずか200mでプラグをカブらせて再始動不能に陥るというエピソード(ハードトップ車)が存在するほどです。
この扱いやすさを著しく欠いた代償としての40psから分かるように、これ以降ダイハツを超えるメーカーは現れませんでした。
カタログ馬力で軽自動車トップとなり、先代の屈辱を見事に晴らしたフェローMAXですが、当時の自動車雑誌を見る限り、最速の名を手に入れるまでには至らなかったようです。
実際のところ、最速といわれているのはスズキのフロンテで、同時期は水冷化された3代目が登場目前でしたが、どうやら3代目は水冷化で少々特性がマイルドになったらしく、
よりピーキーな空冷の2代目の方が速かったといわれています。(未確認)
71年8月に軽自動車初のフルオープンハードトップを採用したMAXハードトップを発売します。これにも40psのツインキャブ、フロントディスクブレーキを搭載する車が設定されましたが、
車両重量がセダンSSの465kgから30kg増加し495kgとなり、それに伴いエンジン特性もわずかにマイルドな方向に変更されています。(ZM-5型からZM-9型にエンジン変更)
そのためか、前述の徳大寺氏は先ほどのエピソードに続けて、
「カーン、カーンとエンジンを思いきり回してやり、小まめにシフトをくりかえしてやって走るのだが、なにせボディが重いのでまったくスピードに乗れない。カタログ上の40馬力が泣くクルマであった。」と述べています。
<2020年5月19日追記>
このようなことがあってか、ダイハツは72年3月のマイナーチェンジでツインキャブ仕様を廃止し、33ps、40psともにシングルキャブとして新発売します。
"ツインキャブからシングルキャブへ移行。すこぶるつきのスポーティ性能を幅広い層の方々に楽しんでもらえるようになりました。"
72年3月版カタログより引用
/追記>
その後、パワー競争も一段落、おまけに軽自動車の販売台数にも陰りが見えてきました。
72年10月、そんな時期に一部変更で翌年から始まる昭和48年排出ガス規制で三菱を除く他社に先駆けエンジンがパワーダウン。
ツインキャブ 40ps車は37ps (後のマイナーチェンジ時に馬力そのままでシングルキャブ化?)、シングルキャブ 33ps車は31psへと変更されました。4ドアセダンも同時に追加されました。
それ以降は車検の義務化、37ps車やハードトップの廃止とフェローMAXだけでなく軽自動車全体が「冬の時代」を迎えることなります。
76年5月に4ストローク2気筒、550ccのAB型エンジンを搭載した「フェローMAX550」が発売されるも、1年2ヶ月後には「MAXクオーレ」(のち「クオーレ」)と名前を変え、フェローの名は消えたのでした。