是か非か?自動車運転教習所

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是か非か?自動車運転教習所

連日新聞の社会面には交通事故を伝える暗いニュースが後を絶たない。
いくら規則をやかましくしても、いくら安全運転を呼びかけても、 毎年の事故の統計はウナギ昇りに増えていく。
その原因は一体どこにあるのか。運転者のモラルの問題か、 あるいは一部運転者だけの技術的な問題なのか。
現在の免許証人口は全国で約4700万人、 さらにこの人口は毎日万単位で増えていく。
そしてそのうちの80%までが自動車教習所の出身者たちだ。
事故件数の半分以上は初心ドライバーが原因といわれるが ー 。
安易に免許証を与えすぎるという声を聞きながら、今月は自動車教習所のあり方について再確認してもらった。

川上富三郎

ドライバーの80%は教習所卒

自動車の数は日を追って激増し、自動車の利用が国民の生活のうえにおいて欠くのことのできない重要な役割をしめている今日では、
運転免許証を取得しようとしている人の数もまた増加の一途をたどっております。
しかし最近では、直接公安委員会の自動車運転免許試験場に申請して受験する人の数は減り、
逆に 公安委員会指定の自動車教習所を利用して免許証を取得する人の数が増えてきました。

それはなまじっか自己流の運転を覚えて直接運転免許試験場に行って受験するよりは、公安委員会指定の自動車教習所へ入所して、
基本的なことからジックリ教習を受けて免許を取得した方が将来のために役に立つことが多いし、
合格率も非常に良いことが一般の受験者たちにわかったためではないかと思われます。

現在東京都内には60数ヵ所の指定自動車教習所があり、また日本全国では1,200ヵ所くらいの自動車教習所がありますが、
昨年1年間における全国の普通免許取得者のうち、その約80パーセントの人たちは指定自動車教習所の卒業生であったというのが現状です。
しかも教習所を利用して免許証を取得する人の数はますます増加している傾向にありますから、
指定自動車教習所が自動車交通のなかで果たさなければならない責務はまことに重大なことであるということがいえます。
しかし、世間の一部の人の間では、自動車教習所に対する批判の声もあるようですが、ご存知のように自動車教習所は自動車の運転者の養成機関であり、
かつ、その卒業生は公安委員会の行なう運転免許試験の一部(技能試験)を免除され、
交通行政の一端をになう社会的な公共使命を有する機関でありますから、その教習の内容や教習の方法などにおいては、
けっしてゆるがせにはできないものであります。

交通情勢は日一日と緊迫の度を加え、自動車による交通事故が増加して、世はまさに「交通戦争」などと呼ばれている今日、ますますその責任の重要さを痛感するものです。
"交通事故が増えるのは、自動車の数が増えたからだ"と言ってしまえばそれまでですが、そのほかにも運転者の道徳心にも大きな原因があるのではないでしょうか。
どんな上手な運転技術をもった運転者でも、人の命を軽くみたり、交通法規を守らなかったり、思いやりのない自分勝手な運転では安全運転ができるわけがありません。

道交法規則改正後の教習内容

さて去る4月1日より道路交通法施行規則が一部改正になりまして、指定自動車教習所における教習技能時間が普通自動車の場合、
基準時間が22時間となって、従来より2時間延長され、しかも応用走行時間中に路上教習を行うことが法制化されました。
したがってこの改正によって、従来一部の府県では路上教習を行っていないところもあったのですが、路上教習が必要となったわけです。
そのほか免許の申請や更新のさい"精神病者などではない"という医師の診断書が必要になったり、
安全運転管理者設置基準の拡大によって、従来自家用車を10台以上を使用しているところに安全運転管理者を置くように定められていたものを、
5台以上に改められて、自家用車の安全管理を一層徹底させるようになりました。

以上、この法律の改正を機会に、東京における指定自動車教習所の、教習の方法、進め方などについて簡単に書いてみたいと思います。
技能教習の目的は、統一された指導法によって、もっとも短い時間で基本的な運転技能を身につけさせ、
学科教習によって習得した法令、構造並びに運転マナーなどの基礎知識を技能教習を通じて体得させることによって安全運転ができる、
質の良い運転者を養成することでありますが、その法定基準時間の22時間を四つの段階に分け、各段階ごとに「みきわめ」を行ないながら、
それぞれの段階を修了させていくようにしております。そのわりふりは次のようになります。

第1段階 4時間 (基本操作・基本走行)
第2段階 4時間 (基本走行)
第3段階 7時間 (基本走行・応用走行)
第4段階 7時間 (応用走行、路上運転を含む)

まず、第一段階(時間配分4時間)では、運転装置の名称及びその役目の概要を説明し、発進・停止、ハンドルの回し方、増速チェンジ、減速チェンジ、
車両感覚の概念、目標の取り方とハンドルの修正、フート・ブレーキおよびエンジン・ブレーキの使い方などについて教習します。
この段階では運転練習の導入段階でありますから、教習生に恐怖心やしゅう恥心などをいだかせないようにして、基本的な操作を十分習得させることを目的としています。

なおこの段階でのみきわめの基準は、

1.ハンドルが安定して、はなはだしいふらつきがないこと。
2.エンジンブレーキの時期が遅れないこと。
3.カーブでのスピードが速すぎないこと。

以上の様な事が習得できていれば、第二段階へと進むわけですが、順調にゆくと4時間で終了することができます。

しかし、何ごとも基本的なことを習うのには、興味が伴うというわけにはいきませんが、将来役にたつことばかりですから、熱心に習うことが大切です。
このあたりをいい加減にしておくと悪いクセがついたり、次の段階へ進んだときに苦労することになります。

つぎに、第2段階(時間配分4時間)に入りますと、ここでは機敏な発進と加速、 増速チェンジ・減速チェンジの時機と方法、
車両感覚(前方・車幅・内輪差)、曲がり角・ゆるいカーブの通り方、速度調節などについて教習し、
増速チェンジ及び減速チェンジ、ブレーキの使い方など、速度調節の基本的なことを十分に習得させるとともに、内輪差などの車両感覚をもとにした車の誘導方法を指導して、
直線コースや、ゆるいカーブ、曲がり角などの、コースの形状に合った適切な速度と、正しい進路で走行ができるように教習して、
第一段階で習ったところの個々の操作と関連させながら一つのまとまった操作ができるように教習します。

この段階でのみきわめの基準は、
1.周回コースで、ハンドルのとられ、ふらつきが少なく、安定した走行ができること。
2.カーブでの速度が早すぎないように、エンジン・ブレーキやフート・ブレーキが使えること。
3.発進・加速が円滑にできること。
4.安全確認をして、車を動かすことができること。

となっておりますが、この段階を終了するまでには順調にいって、教習を開始してから8時間がかかることになります。
しかしこの辺りまで教習が進みますと、自動車のことが何も分からなかった人でも、周回コースでのハンドル操作や、ギアチェンジ、(増速・減速)などが大体できるようになります。

第3段階(時間配分7時間)この段階に入りますと、各操作に法規を加味した運転を教習することになりますが、コース内では他の交通が全部練習車両のため、
実際の道路とは若干違う面がありますが、法令教習で習ったことを活かして法規履行の面に注意しなければなりません。

教習項目としては、前半で合図、安全確認、通行区分、進路変更、交差点の通り方(左・右折、信号、徐行、一時停止)、坂路のとおり方及び発進、見通しのきかない交差点の通り方、
後半では低速調節、車両感覚(駐停車の方法) 、S 型コース、クランク型コースの通り方、直線及び直角バック、切りかえしの方法、幅寄せ、踏切りの取り方などを教習しますが、この辺りからは操作もやや高度なものになってきます。
この段階の最終には、仮免検定に合格できるだけの技量を習得しなければならないのですから、各操作の調和、連けいなどにも注意して、路上教習に支障ないような技量になることが大切です。

この段階のみきわめの基準は

1.合図、進路変更ができること。
2.コースに適応した誘導ができること。
3.クラッチの断続による低速調節ができること。
4.切りかえしの方法が正しくできること。
5.仮免検定の課題に対応するコースを、おおむね円滑に通れること。

となっておりますが、この段階が終了すると仮免検定の受験資格ができるわけですから、他の交通やコースの状況によって、自主性のある運転ができるように心がけ、
例えばクランク型コースで脱輪しそうになったような時は、必ず停止して切りかえを行うようにしなければなりません。
第3段階が終了するまでには、順調にいって15時間かかることになりますが、年齢性別個人差によって若干延長される場合もあります。
〈注〉この段階が終了すると、仮免検定の申請をして、仮免検定の受験を行ない、これに合格するとつぎの第4段階に進むことになります。

第4段階(仮免検定合格後、時間配分7時間)
この段階に入りますと、主として路上教習を行ないますが、ここでは今まで習った、基本的な操作を実際に活用して、歩行者やほかの交通、あるいは道路の状況などに対する判断、
さらに交通法規にもとづいた運転を身につけて、将来単独で運転するようになったとき、安全に運転ができるように準備すをする時間です。
したがって、この時間が終了するころには、指導員の助言がなくても、他の交通の流れに同調した運転ができるようにならなくてはなりません。
項目としては、方向転換、縦列駐車、歩行者や軽車両に対する注意、通行区分、合図の仕方、信号、道路標識・標示に応ずる運転、進路変更の仕方、
交差点の通り方、追従、追い越し、追越させ、行き違い、踏切の通り方、坂路の通り方などを教習し、最終に場内教習を行なって、総合的な仕上げをすることになります。
この段階のみきわめが終了すると、教習所における最終関門とも言うべき技能検定(実地の卒業試験)ということになるわけですが、この段階のみきわめ基準はつぎのようになっております。

1.発進、速度維持、制動、坂路通過(発進を含む)、狭路(S型コース・クランク型コース)の通り方、停車などの操作連けいができ、かつ法規履行と関連して、機敏な操作ができること。
2.路上走行において、安全確認と操作に連携が取れていること。

以上は最終(22時間目)を担当した指導員が、上記の基準によって「みきわめ」をすることになるのですが、全項目を終了して、技能検定を受けるまでに要する技能教習時間は、
その人の年齢、性別、個人差によって若干多くなるのが普通です。
参考までに入所から卒業までに要する時間数の平均は、男性で25〜6時間、女性では34〜5時間。
年配の方になりますと、自分の歳の数ぐらい(40歳なら40時間)の教習時間が必要となっております。

学科の教習は法令と構造に分かれていて、法令15時間(仮免検定の受験までに全部受講すること)、構造10時間を受講しなければならないことになっておりますが、
他の免許証を持っている人は、その免許に応じて、その一部または全部を免除されます。
なお、学科教習計画に基づいて講義を行なっておりますから、何日の何時には何の講義をやるということが事前にわかるわけですから、
学科教習時間割によって、あらかじめ計画をたて、順序よく受講していた方がより効果的です。
また学校の教習は1日何時間いても良いことになっております。学科教習の項目及び配分は次のようになっております。

教習(法令)

1. 運転者の心得、道交法の目的、交通安全思想、用語の意義。
2. 自動車などの種類、信号および通行の禁止および制限。
3. 歩行者の通行方法、車両および路面電車の交通方法。
4. 高速自動車国道などにおける自動車の交通方法、 速度、横断。
5. 追い越しなど。
6. 交差点における交通方法。
7. 踏切の通過、緊急自動車、徐行および一時停止。
8. 駐車および停車、保管場所としての道路使用禁止など。
9. 燈火および合図、保安基準(燈火関係)。
10. 乗車積載(含む都規則関係)、けん引。
11. 運転者の義務。
12. 交通事故の措置など。運転者のマナー。
13. 運転免許関係。
14. 雇用者などの義務、道路における禁止行為、車両制限令、道路標識・標示。
15. 保安基準・整備・装置不良車両の運転の禁止など特別法関係、運転者のマナー。
(以上全部で15時間)

(構造教習)
1. 操向装置。
2.制動装置。
3.動力伝達装置。
4.エンジンの作動。
5.燃料装置。
6.潤滑装置・冷却装置。
7.電気装置。8.排気装置その他の装置。
9.故障の見分けかた。タイヤの点検交換。
10. 仕業点検要領。
(以上全部で10時間。なお構造教習は仮免検定までに全項目受講しなくてもよい)

以上が東京都内の指定自動車教習所における、教習の進め方と内容のあらましですが、教習の要領としては基本的に法律で定められているので大差ありません。

横山 享

日本人が日本で自動車運転免許証を取得しようとすれば一応、自動車教習所に入って長い時間と高い金を払って練習をしなければならない。
それ自体別に問題がなく教習所があったって良いと思うが。我々古いドライバーから見れば、大変におかしなことを教え、また生徒はこれを信じている場合がある。
これによって仮に事故が発生したり、他人に迷惑がかかることがあったとしたら、直接原因ではないにしろ、間接的原因になるわけだから、やはり責任を取ってもらわなくてはならないだろう。

憎まれ口を聞いていても仕様がない。私が面白くないのは、金がないと免許が取れないことだ。
今私が友人に自動車の運転を教えてやりたいが、それは不可能、つまり公道で教えるためには仮免許が必要だからだ。
仮免許はあるていど運転ができて試験に合格しないとくれない。ということは強制的に教習所通いを命じられたようなものだ。
かっての自動車の如く、特殊なものでなくなった昨今の自動車は、人間どこを歩いても良いように、車の運転くらい覚える権利が誰れにでもあると考える。
現在の社会では運転できないと損をすることが多い。こうした時に、こんなシステムでは時間と金のないやつは自動車の免許を取るななどという法律を作られたようなものだ。

先進諸外国ではこれから自動車の練習をするよといえば仮免をすぐくれる。あとは安全な免許を持った人がいればどこを走ったって文句を言わない。
してみると日本は後進国か?、ということで半ば強制的に法律的に教習所へ送り込まれる。政治家と手を結んだかどうか知らないが、
このように絶対にもうかるシステムを考えだした教習所が、官僚的な、また反時代的な、ヘンテコなことで金を取り、教えているとなると我々ドライバーとして面白くない。
お金を取れば、お客様だ。お客様には免許を取らせるのが最大の花むけだ。
こうして教習所に通うお客様には一般の交通マナーなどは、二義的なもので、ひとえに警視庁試験所のテストに合格するように、必要のないことまでタタキ込まれるわけだ。

こうして免許証を手にしたドライバーはただ車を動かせると言う代物でしかなく、マナーなどはdと知らん顔で、これによって交通は渋滞し、あまつさえ事故が発生して他人が迷惑することになる。
「アンタ、精神的におかしいんじゃない」「運動神経がないから、行っても無駄だ。よしなよ」
と言ったのでは、せっかくのお客様から金が取れない。 一度おいでいただいた以上、是が非でも免許をお持ち帰りいただきたい。
というサービス精神?により、とどのつまり気狂いダンプなどの運転手が現れるのではないだろうか。

せっかくバキュムクリーナーの様にお客を集めたのだから、医者ぐらいは用意して、精神、運動神経共良く調べ、いけないのはお帰り願うということにはならないだろうか。
運転技術は一朝一夕に覚えられるものではない。円満な人格をタタキ込んでほしいものだ。
人づくりこそ大切、運転はその次だ。

しからば教習所で教えることといえば、二つに大別して学科と実地となり、実地には仮免を取ってからの路上と教習所内の二つがある。
これからこの両方に文句を並べるが、 あまり多すぎる文句なので適当に思いついたことだけにする。

学科は安全運転を主に

学科だがこんなにくだらないものはない。
例えば、免許を取り自動車を買った、町へ出た、エンジンが始動しない、
教習所で憶えた学科が理解できれば、すぐにチェックして、故障箇所ぐらい発見、 簡単なら修理できるはずだ。

しかしキャブレター、デスビーなどに精通しているはずの卒業生は、カーカーカーとセルモーターを廻すことだけしか知らず、
やがてバッテリーがあがり、カーともいわせなくさせてしまう。そこで思案のあげく修理屋をさがす。

つまりこれを見てなんのために教えた構造かといいたくなる。
バッテリーをあげないうちに修理屋へ連絡、と教えればなにも25時間も教える必要はないではないか。

今手元にある自動車構造取扱教本というのを開いてみよう。
"およそ自動車の運転をするものは構造装置の知識が必要"とあるが、今後ますます簡単になる自動車は家庭にあるテレビや、
洗濯機と同じで、スイッチを入れて動かなければ停電か機械の故障であるぐらいに教えることはできないだろうか。

中を読んでみると、キャンバー、キャスター、ナックルアーム、ドラッグリンクなどの難かしい名称、キャブレターの断面、
エンジンの作動法とか、まるで整備士の教育をしているようなものばかりが並んでいる。
タイヤの交換もろくにできずに道端で途方に暮れているドライバーに、キャンバーだの、キャスターなどといって判ると思っているのか?
それならジャッキの使い方の実習でもやらせた方がよっぽど役に立つというものだ。

つまらないことを教えるより一番大切なのはトラブルシューティングではないだろうか。
車が動かなくなった時、修理屋、ガソリン屋、タイヤ屋、レッカーなどどれを呼んだらいいのか、その判断力を付けさす方が余程実際面で役にたつ。
また混雑した道、踏切などでエンジンが止まった時、ギアーを入れ、セルモーターで脱出し、ジャマにならない所え移動する才覚を覚える方が役に立つ。

交通法令にしても同じことがいえる。
道路交通法とは「道路における危険を防止し 、その交通の安全と円滑を図る」とある。
それにしてはあまりにむづかしく、覚えることが多すぎないだろうか。
かく言う私も10数年前に免許証を取り、その後何回も改正され、正直いって新規に学科試験を受けたら30点もとれないだろうと思っている。
おそらくこうした感じは私だけではあるまい。

しかし毎日無事故でまたよそに迷惑をかけたつもりもない。運がいいからだと言う人もいるがそうではないと確信する。
私のモットーは法規を守ることではなく他人に迷惑を掛けないということにしている。
毎日車を運転していると速度違反もするし、一時停止を怠けたりもするが、
逆に法律上、合法的であっても他人が困るとか、危ないと予想ができる時はこれをやらない。
こうして毎日を無事に過ごしているのだが、結局は法規をやかましくするより、 運転者の道徳的なモラルが問題なので、これはいくら法規を丸暗記しようとも解決することではない。

知らずに軽い違反をする者もいれば、知っていて大きな違反をするものもいる。
前者はよいが、後者はいけない。
そして大きな事故を起こすのはたいがい後者だ。
この人格欠除者に対しては以外と罪が軽いのが日本で、被害者は泣き寝入りで加害者はいつの間にか運転を続けている。
この際実地の練習の前には、くだらぬ学科より禅の修行でもやらせて、人格作りに専念したらどうだろうか。
精神異常、落ち着きのない人、すぐにカッとなる人などすぐに発見できると思うが。

アメリカの免許制度

以前アメリカの免許を受けたことがある。
英語は判る方ではないが、何の勉強もせず要するに常識で考えて解答できる問題ばかりで、
前方何米とか、重量がいくらか、キャブレターは、と言った質問は何もなく、
もう一つ大切なことは法律よりも人命が大事ということを強調していた。
人命に関する限り法的な理由はともかく、先ずこれを片づけなければならないのだ。
後は他人に迷惑を与えないように解答していれば試験は合格である。
常識がないから法規を丸暗記させるのだ、といった人がいたが常識の無い人間が車を運転したのでは、それこそ狂人に刃物ということになる。
何んとしても教習所は常識作りをおろそかにしてはいけないのである。
これをほったらかしにして教える学科などいくらやっても意味がないのではなかろうか。

例を挙げるなら、カーブを曲がる時隋力で回り、終わったところでシフトダウンをすると教えるが、
実際には曲る前にシフトダウンをしてしまっている方が安全なことはいうまでもない。
シンクロメッシュでない時代なら、ダブルクラッチの余ゆうもない初心者にはスピードが落ちてからの方がギアが入りやすいが、
現在の車はローギアもシンクロが効いている時代なのである。

無知な高速走行法

同じことが停止の時にもいえる。
車が停る寸前までギアを入れたまま、しかもトップのままで完全に停るのを確かめ、ギアをローに入れる。
これも停止前にローに入れておけば万一ブレーキが故障した場合にはエンジンブレーキとして使えるし、次の発進もす早くできてよいと考えるが。
一番気になるのが各ギアの使い方で特に加速、テクニックとしては坂道を除いてはできるだけはやくトップギアに入れてしまうということを奨励している。
そこでドライバーは20キロぐらいのノッキング寸前でトップに入れて走ってしまう。

高速道路を見ていると、ランプから本線に入ろうとするのに2〜30キロで徐行しながら方向器もださずにビクビクと、しかも他車を無視して入ってくる。
乗用車だと高速車とばかりにそのまま中央に入ってくる。
しかもギアへはトップ・ギアのままでスピードは30キロときては、皆と同じスピードになるためには大変に時間がかかることはだれだって判る。
大変に危険であり、またこんなことさえも教えられぬ教習所が情けなくなる教習所には高速道路がないんでね。
と言われればそれまでだがーーー。 私は商売がら安全を確かめ、よく高速運転をするが、そのシステムがはっきりしないので、他車を信用することができず大変苦労する。
第3京浜のようなところで追越帯があいていても隣りに車が走っていれば、よほど用心しないと追越せない。
いつハンドルを切るか判らないからだ。

欧米ではこの場合フラッシャがついていないかぎり安全で、雨だろうか霧だろうが追越せる。
要するにマナーが徹底しているわけだ。
。 文句を言えば際限がない。
運転の基本動作を教えるのは教習所なら当たり前のこと。
文明機関である自動車にはドライバーにもまた文明国並みの常識を必要とする。
円満な常識を持つドライバーになる基本を教習所は指導してほしい。